注※ 平成24年7月7日に公開された記事を再編集したものです。
北陸地方も梅雨入りし、じめじめとした日が続いています。
皆様お身体にはどうぞご自愛ください。
もう間もなくすると7月7日、つまり七夕ですね。
幼稚園や保育園にいるころ、笹にお願い事を書いた短冊を吊るしたり、七夕飾りを作って楽しんだ記憶がありませんか?
全国各地でも七夕にちなんだ行事やイベントが開催されていますね。
ところで、七夕の由来、意味を皆さんご存知ですか?
織姫と彦星のラブストーリー
皆さんがよくご存知なお話は織姫と彦星のお話ではないでしょうか?
七夕伝説
昔々、天の川には天帝という神様がいました。
この天帝には美しい布を織る織姫という娘がいました。
あるとき牛飼いの男・彦星と出会い恋に落ちました。
恋人同士になった二人は仕事をしなくなりました。
これに怒った天帝は二人を天の川の両側に引き離し、1年に1度しか会えないようにしました。
二人が会える日が旧暦の7月7日でした
娘が男性と恋に落ち、二人で会うことが楽しくて仕事をしなくなったことにお父さんが怒って、
二人がなかなか会えないようにした
そんなお話が織姫と彦星のラブストーリーです。
織姫と彦星の星座は?
織姫と彦星は星座になっています。
織姫・・・琴座のベガ(夏の大三角形の1つ)
彦星・・・鷲座のアルタイル(夏の大三角形の1つ)
ベガ、アルタイルと白鳥座のデネブがつくる大きな三角形を夏の大三角形と呼びます。
そしてこの織姫と彦星のお話が現在の七夕行事につながっていきます。
七夕行事の成り立ち
現在、皆様がよくご存知の、竹に短冊をつける七夕行事は日本と中国の風習から成り立っていました!
日本の神事・棚機
日本には古くから棚機(たなばた)と呼ばれる神事がありました。
乙女が着物を織って棚に供えて神様を持て成し、秋の豊作や人びとの罪穢れを祓う行事です。
この乙女は棚機女(たなばたつめ)と呼ばれます。
棚機女は清らかな川の側に小屋を建て、棚機(たなばた)と呼ばれる織機を用います。
現在「七夕」を「たなばた」と読むのはここから来ています。
中国の行事・乞巧奠
中国には乞巧奠(きこうでん)と呼ばれる行事がありました。
これは織姫にあやかり、機織りや裁縫が上達することを願い、
7月7日に庭先に祭壇を設置し、上達を星に祈りました。
これが書道や芸事の上達にも発展するようになりました。
日中の文化が融合し宮中行事へ
この日本と中国に伝わる行事が平安時代に宮中行事へとつながります。
宮中の人々はナスや桃、梨などをお供えして星をながめ、香を焚き、歌を詠みました。
このとき、サトイモの葉にたまった夜露で墨を溶き、梶の葉に和歌を書いて願い事をしました。
江戸時代には庶民の文化へ
この宮中の行事が江戸時代になると七夕節句(しちせきのせっく)という節句になりました。
庶民は野菜や果物をお供えし、習い事の上達を祈るようになります。
このとき、梶の葉にかわり五色の短冊に願い事が書かれ、笹竹に吊るされるようになりました。
まとめ
小さいころ誰もが夢中になった七夕は古い伝説と神事、そして人々の願いが込められた行事になりました。
ちなみに笹や竹が使われるのは、笹や竹が生命力にあふれた植物であることに由来しているようです。
「七夕」と書く理由は古く中国、宮中では7月7日の夕方に行っていた行事であること
「たなばた」と読む理由は、日本の伝統神事・棚機(たなばた)の読み方をあてていること
この二つを知っているだけも物知り博士になれますね♪
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